『嫁姑』
ほとんどの人がこの言葉を聞いてポジティブなイメージは湧いてこない・・・
永遠のテーマですよね😅
この記事では、当サイト管理人の私おはなずきが、25年もの夫の両親との完全同居生活の後、ものすごく辛い時期を乗り越え、そこから脱却した、その経緯をお伝えしていきます。
女子大を卒業後総合商社にOLとして5年間勤務した後、お見合いで主人と出会い、田舎の旧家に嫁ぐことになった私、当時27才。
主人の家は周囲からは本家と呼ばれ、村親戚も何軒かあり、主人で10代目とのこと。
主人の曽祖母の代で始めた事業でそこそこの財を成し、経済面でも豊かな家庭でした。
父と一緒に初めて訪問して仏壇にお参りした際の父の言葉
「人が入れそうな(大きな)仏壇やな・・」
確かに〜🤣
当時の私は比較的恵まれた普通の家庭に育ち、父のコネで大手商社に入り、華やかな生活を送っていましたが、苦労していないせいかあまり物事を深く考えないタイプだったのだと思います。
お見合いであるにもかかわらず、相手の人間性がどうかが判断基準で、それ以外の条件などは全く考慮に入れていませんでした。
結婚が決まり、社内のお世話になった各部署に挨拶に行った際、
Aさん 「どこに住むの?」
私 「奈良の相手の家に、両親と同居で」
Aさん 「え〜!大変そう〜」
Bさん 「かわいそう〜」
そう言われてはじめて、
「もしかして、しくっちゃった〜😆⁉️」
と思った私でしたが、時すでに遅し・・
当時は、素直だったんでしょうね
今と違って😅
そして主人と主人の両親の、4人の同居生活が始まりました。
主人は、父と同じ同族会社に勤めていたため
お給料も父が持って帰るので
いくらいただいているのかも知らされず
私たちはお小遣いをいただくという
今から考えると、いわゆる
子供部屋おじさんとおばさん
だったのですね😆
私の行動も全て把握されていて
というと言い方が悪いのですが
当然、外出する際は行き先も伝えて出かけます。
一緒に住んでいたら当たり前のことなのかもしれませんが・・。
結婚当初のエピソードが一つ
私のOL時代の友達が遊びに来てくれることになり
最寄り駅について公衆電話から電話をくれて
わが家の電話番号が
市内は4桁だったので
「内線みたい」と笑ってました🤣
それは余談で
さて、楽しみにしていたお友達の訪問ですが
結局リビングに舅が登場し
延々舅の独壇場
友達たちはうんうんと頷き聞いてくれていて
そしてそのまま帰る時間に・・
結局私は友達と積もる話もできなかった😭
私のお客さま=家のお客様
なのですね、きっと。
私の友達を丁寧にもてなしてくれただけのこと
ですが
後で悲しくて陰で涙を流したのですが
話を聞いてもらいたかった主人も
休日なのに仕事に行ってしまい
(いや、私の不穏な空気を察知して逃げたのかも〜🤣)
至らない未熟な頃の私の話です。
それからも
嫁いでいきなり村の行事でこんにゃく7丁炊くことになるとか
主人の嫁いだ妹がしょっちゅう帰ってくるとか
その妹が難病にかかり、1年近く3才の姪っ子の面倒を見ることになるとか
遠くに住む伯母が同窓会の度に連泊するとか
家業じゃないけど母が畑をしているので手伝わざるを得ないとか
膨大すぎる草引きを、首にタオル巻いて蚊取り線香を足の間において一日中やるとか
お寺の当番とか
住職さんが月に4回もお参りに来てくださる時に必ず家にいないといけない、とか・・
ただでさえ日々神経をつかってる
お風呂出る時にちょうど舅が洗面所に来ないタイミングを見計らったり・・
芯からリラックスできない環境
他にも色々あったな〜🥹
結婚後4年経って長女が生まれて
お宮参りの時に
藁の上に寝かせて鼻をつまむ風習〜⁉️
いや、そんなの不潔やん‼️いやだ〜😭
その後長男、次男と生まれてからも
さらに色んな試練が待ち受けていたのでした😅
いや
贅沢言ってんじゃないよ
お金持ちの家でしょ?
明日食べるものに困らないでしょ?
主人もリストラされることもないでしょ?
はい、確かにおっしゃる通り
恵まれていました。
感謝しかない。でも自由もない・・
同居している皆さまならよ〜くおわかりの通り
同居って、理屈抜きにしんどい😓
特に私のような繊細な人間にとっては。
いや、当時はしんどいと自覚すらしてなかった
これが普通だと思ってたから。
でも、家から離れて初めて
こんなに気楽だったの〜
と気づいたからこそ言える
同居していない人にはわからない話
同居していない人に語る資格はない、と敢えて言おう
姑も舅も普通にいい人。
でも、そういう問題じゃないのよね〜
つい熱く語りすぎました。
この記事ではここまで
次の記事で、時間をワープして
同居が終わったことについて書いていきます。
お楽しみに✨